自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その34 同窓会報第89号(2019年7月1日発行)


飛び込むべきだ」

                     米国疾病管理予防センター(CDC) 阿江竜介(兵庫26期)

本稿のタイトルは、松原代表が執筆なさった初回のCRST研究・論文こぼれ話その1「Research Mind後天説」最終段落の文頭フレーズをそのまま引用した。全国の地域で頑張っている若手の卒業生に対して、本稿が何らかのヒントになれば幸いだ。

 正直に言おう。へき地で働いていた頃の私は論文が読めなかった。日常業務で様々なエビデンスを議論する機会はあっても、そのルーツとなる原著を読んだことは一度もなかったと思う。そもそも、ちゃんと読めなかった。英語だし。統計わからんし。大学で習った覚えないし。日常教務が忙しいから論文を読む時間なんて無いし(と、言い訳できるし)。そもそも、論文を読めなくても医者をやっていけるし。でも本当のところ、論文を読む時間は充分あった。ただ、あの頃の私は、必要性を感じていなかった。研究に対する“受容体”が欠如していた。
 そんなある日、末期がんの高齢患者のベッド脇に貼ってあった孫からのメッセージを読んだ。「おじいちゃん、はやく元気になってね」。短いメッセージの中にある「元気」という言葉に関心を持った。おじいちゃんは入院後まもなく、元気になって退院していった。病気(末期がん)が治ったわけではない。「元気な状態」に戻ったので退院できた。孫のロジックは正しいと思った。
 同じ頃、病気は治ったのに元気にならなかった高齢患者がたくさん紹介されて来た。たとえば、抗菌薬で肺炎は治ったのに、食欲が改善せず衰弱してしまった症例だ。看取りの体制を整えるなかで、高齢患者を「もうトシですから」と単純に結論づけることに疑問を覚えるようになった。何か手を尽くしてみよう考え、院内の看護師と相談し「口腔ケア」に着目した。看取り目的で転院してきた高齢患者は皆、口腔内が汚かったからだ。しばらくして看護師が「ちゃんと口腔ケアをしたら患者が復活する」と言い始めた。この言葉どおり、看取りを目的として転院してきた高齢患者は、適切に口腔ケアを施しただけで、経口摂取量だけでなく活動量や発語も増え、退院していった(もちろん全員ではないけれど)。高齢患者が元気になってゆく姿を私はたくさん目撃した。
 これに関連して、外来診療では、高齢患者を日常的にサポートしている介護者による「(普段と比べて)元気かどうかの印象」が、患者に潜在する病気を察知できるかもしれないと思い始めた。たとえば「いつもと比べて元気がない」とか「いつもと何か様子が違う/何かヘン/何かがオカシイ」といった直感的な印象だ。自身の経験上、これが理由で連れて来られた高齢患者には入院につながる何かしらの病気が潜んでいるケースが多かった。私はこの印象をCaregiver daily impression (CDI) と勝手に名付けた。CDIはバイタルサインなどの数量的所見とは独立して、高齢患者の健康状態を反映するのではないかと考えた。
 「元気さは、治療の評価軸になるだけでなく、病気の潜在を見破るヒントにもなり得ます」。もし、若い医者がそんなこと提言したら「元気って何?根拠は?」と笑われるのがオチ。「今に見てろよ」という感情がこみ上げた。だが、致命的だったのは当時の私が、そもそも根拠の示し方(学術の作法)を知らなかったことだった。つまり論文発表である。論文を読めない人間が論文を書けるはずもない。卒後7年目の後期研修。大学に戻って勉強し直すと決意した。論文の読み書きの修行をするためだ。正直、学術機関に飛び込むのはとても恐かった。特に、周りの医者(特に年下の医者)から自分が「論文も読めないアホな医者」だと思われるのがいちばん恐かった。邪魔なプライドだった。だが、もはや開き直って頑張るしかなかった。あの頃の私は、ダサかった。「ブルーカラーな仕事」しかできない医者だった。
 あれから10年ほど経った。世界標準の「元気さのモノサシ」を作ってみんなを幸せにしたいという私の挑戦は今も続いている(まだ原著2編だけですが)。「今に見てろよ」という気持ちは今も変わっていない。

 冒頭に記した「松原代表の初回寄稿」最終段落(全文)を引用したい。

(研究の世界に)飛び込むべきだ。まず具体的手法を学んでみる。無理に実験などせずとも良い。症例報告でもCase seriesでも、経験を無駄にせずに書いてみる。それらの積み重ねの中でResearch mindが後天的に生まれ、やがて大きく羽ばたく。CRSTもそのお手伝いをしてみたい。

 
実際に「飛び込んでみた」のがこの私である。あの頃のダサかった私が、研究の世界に飛び込み、今ではそこそこマシになってきたようにと思う。代表の言葉のとおり、あきらめず「積み重ねること」が大事だということも最近わかってきた。研究に対する“受容体”が後天的に発現することにも大いに賛同できる。

 改めて同じ提案をしたい。飛び込んでみてはどうか。読み書きの修行は、正直けっこうツラい。だが、読み書きできれば、今よりもっと人を幸せにできる医者になれるはずだ。今回私が曝露したダサいエピソードが、若手の“受容体”発現につながりますように。
                                  連絡先 E-mail:shirouae@jichi.ac.jp

(次号は、自治医科大学医学教育センターの松山泰先生(静岡24期)の予定です)

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